About Me
何度でもゼロになった男が
地図とコンパスを手に入れるまで。

こんにちは、森部高史です。
僕は日本で英語教師→アメリカでアスレチックトレーナー→日本に帰国してからは個人事業主としてひとりサロンを開業するセラピストとして活動してきました。
こうした経験を元に、現在は法人化してひとり社長として、セラピスト・治療家・講師など、個人で活動する専門家の方が「自分軸で仕事を創り、売上を伸ばしながら、家族や自分との時間も大切にする」ための支援をしています。
ここでは以下についてお伝えをします。
商売人の家に育った幼少期
人の目を伺い続けた学生時代
ひとつの転機となった海外留学
感情を失った教員時代
迷いながらも自分を取り戻しはじめた海外生活
プロってなんだ?に葛藤する日々
帰国して知る現実…ビジネスにおける信頼とは
開業して知る現実…闇雲に頑張るだけでは結果に繋がらない
顧客0から予約がとれないセラピストになった転機と行動
みんな、同じことで悩んでいる…
いまある「当たり前」はいきなり奪われることもある、その時どうする?
あなたを待っている人がたくさんいる
この詳細を読んだ結果
「この人は何を言っているのだろう?自分とは合わないっ!」と思われたならそれはそれで、離れておくほうがお互いにとってベストの選択になるとも思いますのでいいかなと思っています。
でももしも、ひとつでも共感して頂くことがあるのなら、きっとあなたのお役に立つことができると思います。
隠すようなことでもないので、ありのままに正直にお伝えしていきます。少し長くなりますが、ストーリー形式に書いているのですんなりと読めるのではないかと思います。
それではよろしくおねがいします。
経歴
株式会社Pono Life 代表取締役
Kukuna Body主宰
Business Breakthrough System (BBS)ファウンダー
Digital Course Lab (DCL) ファウンダー
ポッドキャスト「Beyond Solo」ホスト
Kinetikos アドバイザー
主な活動歴
2002年-2005年 横浜県私立中高一貫校において英語科教員
University of Arkansas, Fayetteville Student Athletic Trainer('05-07)
2005年-2007年 アーカンソー大学フェイエットビル校学生トレーナー
MLB: Colorado Rockies Spring Camp Intern Athletic Trainer(‘07)
2007年 MLB コロラドロッキーズ 春季キャンプインターンアスレティックトレーナー
NFL: Houston Texans Summer Camp Intern Athletic Trainer (‘07)
2007年 NFL ヒューストンテキサンズ 夏季キャンプ インターンアスレティックトレーナー
University of the Pacific Intern Assistant Athletic Trainer(’07-’08)
2007-2008年 パシフィック大学インターンアスレティックトレーナー
af2: Stockton Lightning (プロアリーナフットボールチーム)Assistant Athletic Trainer(’07-”08)
2007年−2008年 ストックトンライトニング アシスタントアスレティックトレーナー
SUNY Plattsburgh State University Assistant Athletic Traienr(’08-’09)
2008年−2009年 ニューヨーク州立大学プラッツバーグ大学専属アシスタントアスレティックトレーナー
University of Hawaii at Manoa Assistant Athletic Trainer (’09-’12)
2009年−2012年 ハワイ大学マノア校専属アシスタントアスレティックトレーナー
U22 Men's Lacrosse National Squad Head Athletic Trainer('12-'13)
2012年−2013年 22歳以下男子日本ラクロス代表チーム ヘッドアスレチックトレーナー
Kukuna Body Owner ('12-Current)
2012年-現在 Kukuna Body代表
Pono Life Inc. CEO ('17-Current)
2017年-現在 株式会社Pono Life 代表取締役
その他
2024年より blast! 全国ツアーに帯同しキャスト&スタッフの健康管理を担う

現在の生活

今の僕の生活はこんな感じです。
仕事は良いクライアントや受講生に恵まれ、好きなペースで回っている。
娘は毎日はつらつとしていて、笑い声が絶えない。
妻は一人でも辛い思いをする人が減るようにと、医療機関や医師を始めとする医療従事者と協力しながら
「自分にできることはなにか」
と日々、ひとりの健康に携わるプロフェッショナルとして、母として、妻として、女性として活動を続けています。
家族と過ごす時間が、確かにある。
でも、そこに至るまでに—
体を壊し、夢を諦め、開業直後は残高2万円…
「自分は無力だ…」とゼロになることを何度も経験しました。
そしてようやく仕事が軌道に乗った時に、妻が乳がんに…
当時娘はまだ1歳、売上も全て無くなり出口の見えないトンネルの中で呆然とし続ける…
そんな時期がありました。
でもそんな時間があったからこそ、今のような働き方と暮らしができている。
これは、その話です。
商売人の家庭に育った幼少期

僕は母親の里帰り出産で兵庫で生まれ、その後は東京で育ちました。
(ベビーカーに乗っているのが自分です)
実家は20年ほど前に会社をたたみましたが祖父の代から90年ほど続いた昔ながらの中小企業で社員数名で魚の卸業。
いまでもよく、父と母と話になりますが「よくあんなやり方で成りたっていたね、今の時代だったら無理だね」というくらいに超肉体労働。
朝は5時前には市場に行って、仕込みをして、百貨店に荷物をおろして、売り場にたって、夜は9時、10時まで当たり前、ゆっくりできるのは大晦日くらいの365日を両親は過ごしていました。
自分も学校が長期休みの頃などは毎日、仕事を手伝い、ときには売り場に立つこともありました。
この時に後々、自分自身が大変な思いをすることになる「仕事は苦労してやるものだ」「家族を養うために親は大変な思いをしていくものだ」という価値観を植え付けられたと言えるかもしれません。
でもこれって大きな間違い。自分で自分にかけている呪いのようなものです。
仕事は楽しいものだし、家族と仕事、人生と仕事は両立どころか、仕事をやればやるほど家族も人生も豊かになるものです。
この発想の転換と実践が行えるかどうか、が「自分軸経営」の一つの鍵になります。
ただこの頃は、「やればやるだけ成果が出る」という時代でもあったのでこのやり方でも大丈夫でしたし、こういったやり方が主流であり、「正解」でもありました。
ただ、今の時代は違います。
今の時代は「頑張っても結果に繋がりにくい時代」なので、しっかりと戦略を考える必要があります。
それでも社員さんを数名雇い、会社をやっているということで、経済的には会社員をしている家庭よりも裕福だったと言えるでしょう。
そういった面では、独立・開業/会社経営をしている利点というのを感じながら育った幼少期でした。
とはいえ、つい数年前に知ったのですが、実はかなり自転車操業でリスクの高い経営をしていたことを知ります。
年末年始のお歳暮や新物の時期が最も稼ぎ時という季節労働みたいなところがあったので、3000万借り入れて仕入れをして2ヶ月後には返済する、というような形を繰り返していたとか。
そういうリスクを大きく取ることが当たり前の時代でもありました。ただ、恐ろしいですよね…
このやり方もいまの時代には全くあっていません。
ただ実家の商売を身近に感じていたので、自分自身も中学くらいの頃には「自分は会社員にはならないのだろうな」とはうっすら思っていました。
人の目をうかがい
損な役回りを引き受ける学生時代
兄、姉に続く末っ子として育っているので周りのことはよく見るタイプです。
結果として「要領が良い」「危ないことはしない」「堅実」と言われるような学生時代でした。
成績も特別優秀というわけではないですが、そつなくこなすタイプだったので、いわゆる「○○委員長」とか生徒会など、面倒で誰もやりたがらないもののバトンが回ってきてしまうタイプ。
しかもそれを断る勇気もないまま引き受けてしまう、そんな学生時代。
引き受けてしまった以上はちゃんとやらなければいけないよね…ということで多少無理してでも期待に答えようとする性格が育まれていった時期。
結果として、これも後々になって「こうでなければならない」、と自分を「型にはめてしまう」という部分で非常に苦しむことになりましたが、それについては後々お伝えをします。
ひとつの転機となった海外留学

日本の大学に進学して、そこでも高校までと同じように「自分の性格と能力的には無理だと思うけれど回ってくる役回り」を引き受け、自分の能力不足で形にならないことに悩む日々でした。
そんななか、大学の交換留学制度に合格しハワイ大学に1年間行けることに。
当時、日本の大学では「第二言語習得」という言語学を学んでいましたが、アスレチックトレーニングというスポーツ選手をサポートする仕事があり、それを学術的に学べるということを知りました。
その1年間は英語も喋れないなりに必死に過ごして、あっという間に過ぎていきました。
当時お世話になった自分のスーパーバイザーたちからも「すぐに戻ってこい」と声をかけてもらえたのは少なからず自分の自信にもなりました。
しかし、ハワイ大学に戻ることになるのはそれから10数年後のことでした。
感情を失った教員時代
帰国後、すぐにまたアメリカに戻る事ができなかった理由、それは家族の健康状態によるものでした。
とてもではないけれど、いま自分が海外に行っている場合ではないということで、教職の道にすすみます。
社会人として最初の就職先は中高一貫校で英語教諭として。
ここで、自分が「こうでなければならない」「こうあるべき」という変な【責任感】により、自分の能力以上のものを抱え込んでしまいました。
先輩教員や上司のいうことは絶対だと思いこんでいたために、それをすべて聞き入れているあいだに朝は始発、帰りは終電は当たり前。
週末は部活指導や試合帯同で休みはなし、という生活が続いていました。
受け持つ授業のコマ数も全教員のなかで一番多く、さらには年度の途中からは逃げてしまった教師の代わりに担任も急遽やるはめに…
結果として、まずは体に異変がおきはじめ、ある日突然指一本動かすことができなくなりました。
そして笑顔もどこかに置き忘れてきたのか、能面のような感じで日々過ごし、見る夢も自らの人生を幕引きするようなものにうなされる日々が続きました。
(いまはすっかり元気で、この頃のことは笑い話なのでご心配なく!)
ギリギリの状態が続きましたが、このままでは本当に危ない、自分の人生は誰かの犠牲になるためにあるのではなく、自分のためにあるはず、ということで退職を決意。
組織は色々と甘い言葉もあわせて都合の良いことを言ってくるけれど、最終的には決してこちらの健康と人生を守ってくれることはない、ということを学びました。
迷いながらも自分を
取り戻し始めた海外生活

教員を退職し、アスレチックトレーナー(ATC)になるために再度渡米。
とはいえ、「こうすればうまくいく」という確証はなにもありませんでした。
いまでこそ、耳にするような職業ですが、当時は西暦2005−6年、インターネットすら今のように発達していない時代なので、仕事として行っていけるのかは不透明な頃です。
それでも自分がやりたいことだから、と再渡米をしたわけですが、行き先はハワイではなくアーカンソーという超田舎。
理由は単純にアスレチックトレーナーの資格試験を受ける制度が変わり、ハワイ大学ではその要件を満たすことができなかったから。
なので、スポーツが非常に強く、4大プロスポーツやオリンピックに多数選手を排出する学校を選び、University of Arkansasに進学を決めました。
(写真に写っている選手も、この翌年NFLにドラフト上位で指名され長年活躍しました。)
海外にでることで、いままでの自分のことを知る人はだれもいません。
すべては自分次第。
東洋人ということで人種差別をうけたことも1度や2度ではなく辛い思いをすることもありましたが、支えてくれる人たちにも恵まれました。
大変だったけれど自分の夢や目標にむかってひた走る日々はかけがえのないものでした。

成績はクラスでもトップクラスになり、アメリカ人に教えるというくらいにまでにもなりました。
無事に大学院を修了し、資格試験にも合格し、晴れてATCに。
在学中や卒業直後にはMLBやNFLといったプロチームでインターンをする機会にも恵まれました。
その後、様々な苦労もありましたが就労ビザを出してくれるニューヨーク州の大学に出会い、無事に就職をすることになりました。
その翌年にハワイ大学に今度はスタッフとして呼び戻されることになり、ようやくスタートラインに戻ってこれたという実感をもてた時でした。
大変なこともあったけれど、そこから逃げずに自分の目標に向かって一歩を踏み出し続ければ道は開いていける、ということを信じることができるようになった日々でした。
プロってなんだ?に葛藤する日々

ハワイ大学に大学のアスレチックトレーナーとしてハワイ大学の歴史上初めての外国人としてのフルタイムスタッフとしてで呼び戻されてからの日々は大変ながらも充実していました。
日本の大学から交換留学で訪れた時に自分の道を開いてくれた場所です。
当時、お世話になったボスが自分を呼び戻してくれてその人のためにようやく力になれる、それは何よりの喜びでした。
しかし、仕事の特性上、自分の都合でスケジュールは組めないうえに拘束時間は非常に長いです。
最もひどいシーズンは朝の4時には職場に入り、選手のケアをして夜は試合のカバーをして帰りが23時という日々を過ごしていたこともありました。
その年は疲れすぎてぼーっとしていたのか、高速道路を運転中にスピンしてしまったこともあります。(無事で良かった・・)
ご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、アスレチックトレーナーというのはスポーツ選手の怪我の予防やケア、リハビリなどを行うので非常に拘束時間も長いし、責任も重大です。
(特にアメリカはスポーツが巨大なビジネスで大学レベルでも規模の大きいところなら1試合数億円のお金が動きます)
基本的には24時間オンコールの毎日を過ごし、責任も大きいのに給料は安いんです。
全米の平均が日本円に換算すると400万円程度。自分の当時の給料も日本円換算で450万円程度でした。
しかもフルタイムで雇用されている人の8割以上が修士号を持っているにもかかわらず、です。
もちろんこれ以上のところもありますし、これ以下のところもあります。
時には人の命を救うようなこともある、拘束時間も長い、専門的な資格と技術の研鑽が必要。
だけど実情は勤務年数によっては事務の一般職員よりも給料が安い…
=====
「自分は仕事にプライドを持っている。
人の役にたつことは嬉しい。知識と技術のブラッシュアップもかかさない。
やりがいもある。
だけど、事務の一般職職員に給料で負けている時点で専門職と言えるのか?
プロってなんなんだ???」
=====
と真剣に自分の仕事の価値、というものを真剣に考えるようになりました。
帰国して知る現実…

ビジネスにおける信頼とは…
家族の健康状態の悪化、3.11などがあり、2012年の6月に長年のアメリカ生活に終止符をうち、日本にもどってきました。
アメリカでやるべきことはもう全てやったという自負があったので、寂しさはありましたが未練はありませんでした。
帰国してからは、まずは個人事業主として、ひとりサロンを行うことに。
アメリカで行っていたようにチームに属するという選択肢もないわけではなく、プロ球団への繋がりもありましたが、この時に優先したかったのは病気の家族と過ごすための時間の自由度と経済的な余裕でした。
そこで時間的・経済的自由の両方を得るために、在米中に学び資格をとったロルフィング®という身体のバランスを整えるボディーワークという手法を中心に行っていくことを決意。
しかし、最初の壁はオフィスを借りることでした。
日本での近々の納税証明がないために「信用がない」と判断されてしまい、どこも物件を貸してくれないのです。
アメリカで仕事をしていたこと、こういった業務内容で、どういった組織で働いていたか、ということを伝えても断られる日々が続きました。
結局、ビジネスをしていく上での「信頼」とは「納税」という数字。
結局の所、「いくら稼いで、いくら税金を収めたか」ということがビジネスにおける「信頼」なんだということを帰国早々に突きつけられることになります。
どんなに理想論や良いことを言っていても、きちんと「稼ぐ」ということを数字で証明出来ていなければ一般社会(特に金銭が関わるもの:賃貸契約や融資など) においては、通用しない、ということを目の当たりにしました。
結局3ヶ月ほど探し回った結果、紹介していただいた地域密着型の不動産屋さんに西麻布にあるオーナー預かりのワンルームマンションを紹介してもらい、 そこでひとりサロンの第一歩をスタートすることとなりました。
そして諸々の初期費用を支払ったあとのこの時の銀行残高は衝撃の2万円程度でした。
西麻布という場所ではありますが、特別高い家賃の場所を借りたわけでも、豪華な内装や設備をおいたわけでもありません。
アメリカでは働きながらスキルを伸ばすために学校にも通い、その学費が数百万円かかっていましたし、そういった生活のなかでアスレチックトレーナーとしての仕事で蓄えられる金額には限りがありました。
いま考えても背中が凍りつくような無謀なスタートであり、準備不足甚だしいですが、崖っぷちの状況であるからこそ後に繋がっていった面もあるのかな、と思っています。
(とはいえ、こんなスタートの仕方は誰にもすすめません!だからこそ、普段から発信をしてプログラムを提供しているのも一つの理由です。)
闇雲にがんばるだけでは結果に繋がらない

スタートからばたつきましたが、どうにかして自分の活動拠点を持つことができ、「よし!これからだ!」というのも束の間、今度は、現実が襲ってきます。
そう、お客さんが来ないのです。
これは今になって思えば当たり前の話でしかないですが、何をすれば集客できるようになるのかを全くわかっていなかったのですね。
当時は、それなりに海外でキャリアも積んできた、そこでは仕事も評価されてきた、専門的知識や資格も持っている。
いままでも時間はかかったけれど真面目にやっていたら、信頼を得られてきたから。だから今回も、いきなりはうまくいかなかったとしても、少しずつ良くなっていくだろう。
そう思っていました。
でも当たり前の話ですが、現実はそんなことはありません。
過去の自分がどんな学位を持ち、資格をもって、経歴をほこってきたか、なんていうのは全く関係ないのです。
しかも、雇われている身と自分の名前で活動しているうえでは、仕事の創り方や信頼度の積み上げ方、そして実績のあげ方は全く違います。
(また個人で行うのと、大企業が行うような施策も全く異なります。多くのひとりビジネスをしている人が勘違いしているのはここ)
プロスポーツ選手やオリンピックアスリート、芸能関係者を見ていて、腕も信頼もされている。でもいざ独立したら、1年目で自己破産してしまうというような人もいます。
その違いも活かし方も知らずに「頑張っていればいつか花開く」、そう思っているだけでは何も形にならないのが現実なんです。
なぜか、というとこれからのお客様にとっては、自分が何を行ってきたか、なんて関係なく「私にとってどんなメリットがあるの?」という一点だから
そんな基本的なことすらわかっていない開業当初でした。
でも実際、多いですよね。
自分が良いと思うことをやっていれば、どうにかなると思っている
過去の自分と同じように、頑張っていれば花開くと思っている
とにかくお客様のために、とおもいながら専門的な技術や知識を学んでいるけれどそれが集客や売上アップに全くつながっていない
というひとりビジネスを行っている方が9割と言っても過言ではないでしょう。
知識としてはそういう部分があるけれど、形にできていない、というケースも多くあります。
恥ずかしながら自分もそうでした。
結果として、開店休業状態になり、「いままでの自分がやってきたことにはどんな意味があったのだろう…」と過去の自分を攻める日が続きました。
顧客0から予約がとれない
セラピストになった転機と行動
前述の通り、全く仕事にならない日々だったので、気持ちは落ち込みますが落ち込んでいてもお客様が舞い込んで着てくれるわけでもありません。
具体的な行動だけが未来をつくります。
仕事がないぶん、時間だけはあるのでその時間をつかって、仕事に対して何ができるかを考え、3つのことを意識して行動しました。
まずひとつは、本を読むこと。
仕事がない、ということはビジネスのことをなにもわかっていない、ということに他なりません。
だからビジネスにまつわる本を月に30冊ほど読み、そこに書かれていたことを実践していきました。
次に、人に会いに行きました。
仕事に繋がっていないのは自分の存在が知られていないから、何が出来るのかが知られていないから。
だからとにかく毎日人にあい、自分がどういったことをしていて、どう役に立てるのかを対面で伝え続ける、そんな生活を6ヶ月以上続けました。
そして最後の3つ目は、オンライン上に自分の存在を出していくということ。
仕事を伸ばしていくためには自分の手の届く範囲よりも広い場所で認知を広げる必要があるから。
ブログを毎日更新し、SNSでの発信も欠かさず行う生活を450日ほど続けました。
その結果として、徐々に認知してもらうことができ最終的には、単価が一般のセラピストよりも5倍以上にもかかわらず、予約が埋まり、いわゆる有名人の方々にも来ていただくような場所に成長していくことができました。
そして、最初のオフィスから次のオフィス移転と同時に法人化し、さらに多くのお仕事をさせて頂くようになりました。

またこうなるとよくあるような、「忙しくなると自分や家族と過ごす時間がない」ということもなく、いままで以上に家族との時間を過ごすことができました。
これもきちんと最初に動画でもお伝えしているような戦略を立てておいたからに他なりません。
ただこういったことをいまから1から手探りで始める、となるとかなり大変ですよね、時間も相当かかります。
スポーツなどのトレーニングでも間違ったやり方をしていたら、思うような結果が出ないばかりか、変なクセがついて、怪我の原因にもなってしまいます。
ひとりビジネスも全く同じです。
でも自分ひとりで行っていると、何をどうおこなっていったらいいかわからないことが多いですよね。
だから自分自身が行ってきたプロセスを簡略化し、エネルギーを注ぐ部分を絞って成果につなげるための努力をしていくために、主催しているプログラムであるBBSやDCLでは重要な部分をお伝えしています。
頑張ることが目的ではなくて、自分が望んでいる結果を出すために頑張るわけですからね!


みんな、同じことで悩んでいる…
仕事が軌道に乗り、ひとりサロンの運営以外にも同業の先生方から依頼をうけて、全国各地でセミナーを行う日々をすごしていました。
するとそこで多くのひとりサロンや治療院、ジムを行っている方々から相談を受けることが増えました。
「どうして看板も出していない、誰も知っている人がいないようなことをやっている、単価も他の人にくらべて7−8倍かそれ以上に高い、それなのにどうして人が来るんですか?」
自分が行っていることは「当たり前のことを愚直に」行っていただけなので何も特別なことではありませんでした。
そういったことを伝えると
「みんなその『当たり前』がなにかわかっていないし、わかっていないからできないんですよ。それを伝えたら救われる人がたくさんいると思いますよ」
と逆にアドバイスをされたことが今日の活動の大きなきっかけになっています。
・「売上が伸びない」
・「頑張っているのになかなか集客できない」
・「忙しくなると自分の時間がなくて、家族からも不満が出たりリフレッシュする時間がない…」
・「SNSを頑張っていて、反応も良い、フォロワーも増えたけれど売上に繋がらない…」
自分が過去に直面していたこういったことに悩んでいるひとりビジネスを行っている方々が非常に多いということを知りました。
また、さらにはより酷いケースにおいては以下のような話もありました。
正社員契約なのに社会保険ではなく国民健康保険で働かされる国家資格専門職の職場
非常に安い給料(手取り14−5万円)で朝はやくから夜遅くまで毎日働かされ、歩合の分もちょろまかされる治療院勤務の話
コンサルにアドバイスされて、とにかく回数券を売ったらその月は売上が伸びたけれど、その後の売上が減少し、廃業した話
とにかく「経験」と「知識が足りない」からと自社セミナーを有料で受講することを義務付けられ、受講しても1レッスン3000円程度のインストラクター業
個人事業主として活動してるのに時間も場所も100%拘束されるという形だけの業務委託契約が収入のすべてを締めてしまっているケース、などなど・・・
こういった話を上げていけばキリがありません。
そこには「少しビジネスを知っている者が無知な者を喰い物にする」という図式がありました。
自分自身もトレーナー、セラピストとして活動してきているバックグラウンドがあるので、そういったことを聞くととても苦しく、腹立たしい気持ちになります。
同時に自分の身を守るためには、自分がきちんと知識を持っていなければ自分を守ることができません。

同時にこれは必要以上に「難しい専門知識や技術を【知らなければいけない】と思わせているような専門業界の悪いところでもあります。
もちろん専門的な知識や技術を学んでいくプロセスは楽しいですし、プロとして学び続けることは必要です。
でも、「それがいまの自分に本当に必要なのか」、考えてみて欲しいとおもいます。
常々お伝えしていることにはなりますが
「新しい専門技術や知識を【明確に】売上につながっている」ということができていなければ、専門的なことを学べば学ぶほど金銭的にも精神的にも豊かになることからは遠ざかってしまいます。
過去の自分も例外ではなく、そうだったのですが多くのひとりビジネスを行っている人に足りない部分でもあります。
どうしてもその専門分野を勉強していれば、いずれ仕事になっていく、と盲目的に思いすぎてしまう、ということ。
でもその専門的技術や知識も、お客様に選んでいただけなければ活かしていくこともできません。
ひとりビジネスを行うものとして、専門技術を磨くと同時に、それを届け、継続していくためのビジネススキルも絶対的に必要なのです。
ひとりビジネスを行っている人には専門性があります。
いまあるものを活かして、売上に繋げていくやり方やそういったマインドとともに行動をしていけば、その売上でまた学んでいくことができます。
そしてそれは以前とは違い、「学べば学ぶほど、多くの人の力になることができ、売上につながり自分も豊かになる」という流れができます。
あなたの専門性を必要としている人はたくさんいます。
それを届けられないがゆえに自分のビジネスも伸び悩み、必要としている人もいつまでも問題を解決できないままというのは大きな損失でしかありません。
だから、僕はこうした専門性を持って活動する個人事業主やフリーランスといったひとりビジネスを行っている方たちに
周りに振り回されたり、自己犠牲を伴うような働き方ではなく、本当に自分が求めているものを追求し、お客様に喜んでいただきながら売上を伸ばしていく「自分軸経営」を伝えています。
いまある「当たり前」は
いきなり奪われることもある
ここまで読んでくださったあなたはもしかしたらこう思ったかもしれません。
「まぁ、そうはいっても自分の好きなことを仕事にして生活することはとりあえずできている。だからまずは自分がやれることをやっていたらいいかな」と。
もちろん、これはあなたのビジネスですから、あなたが望むことを行えばいいと思います。
ただ、いまある「当たり前」は望む、望まないに関わらずいきなり奪われてしまうことがあります。
それは2020年にはじまった新型コロナウイルスの影響もひとつです。
突然いままで行えていたことが行えなくなり、多くの人が仕事や将来に対する不安を持ちましたよね。(今も持っている人は非常に多いです)
そして、これは以前の僕自身の話になるのですが、仕事も順調で売上も右肩上がりだったときのことです。
妻がガンになりました。その時、娘はまだ1歳半です。

おかげさまで、現代医療の力と多くの人の協力によりいまは元気にしていますが、闘病生活の1年半はかなり厳しいもので、日常が一変しました。
妻の看病、1歳半の娘の世話をするために家から離れられない生活。
当時は、自分が稼働することでしか売上を立てる術を知らなかったのでそれまでは月に7桁を超える収入も0になります。
ある程度は仕方がない、とはいえいつ終わりが来るかわからない状況でそのままでいる訳にはいきません。
もしもあなたの身にこういったことが起こってしまった場合、どうしますか?
幸い自分はそれまでにある程度の売上を立てられていた部分があるので、その時期をどうにかやり過ごすこともできました。
ただし、やり過ごすだけでは不安は消えません。
だから全く稼働できない時期はビジネスの学びの時、と割り切って100万円を簡単に超える金額をビジネスの学びに費やしました。
はっきり言ってお金に余裕があったわけではありません。
足は震え、夜は寝ていても最悪の事態が頭をよぎって、ガバっと布団から起き上がる…
そんなことも1度や2度ではありませんでした。
・「本当にいま、このタイミングでこんなお金を使って良いのか…」
・「うまくいくのだろうか…」
そんな迷いもありました。
でも一番怖いのは「本当に身動きが取れなくなった時に、何をしたら良いかがわからなくなること」。
今思えばだからこそ必死にやったし、その時の時間があるから今に繋がっている、そう感じています。
それ以降も毎年継続して同じかそれ以上の金額を学びに費やしています。自分のビジネスを成長させ、二度とこういった状況にならないようにするために。
そしてひとりでも多くの、自分のことを必要としてくださっている方に届けていくために。
ものすごく大変な時期でした。
正直に言うと、あまりに大変すぎて、この頃のことはあまり覚えていません。
辛くて逃げ出したくなって泣き続けた夜もあります。
でも、どんなに泣いた所で現実は変わりません。時間は止まって肩を抱きしめ寄り添ってくれるわけでもありません。
泣きつくした後は前に進むだけ。
だから、家族で一緒に過ごす時間をそれまでで最ももち、たくさん笑っていた時間でもありました。
あの頃の時間があるからいまの自分の活動ができています。
その根底にあるのは、誰にも自分と同じような思いをしてほしくないからというのが強くあります。
すべてのことに対して準備をする、というのは不可能だとしても、ひとりビジネスをどう構築するかを知り、実践していくことで対応・準備できることはたくさんあるから。

あなたを待っている人はたくさんいます
ここまで書いて結局何を一番伝えたいか、というと僕の過去のことなんてどうでも良くて、あなたがあなた自身の未来のことを考えるきっかけになったなら、ということです。
あなたの持っているスキルや専門的知識、そしてあなたという存在を待っている人は世の中にたくさんいます。
でもせっかくのその知識や技術も届けることができなければ意味がありません。
あなたが今後どういった形でビジネスを構築していくのか、とても興味があります。
僕が伝えることがすべての人に対していつも絶対的に唯一無二で正しいなんて思いません。世の中には良いコンサルさんもたくさんいらっしゃいます。
ただ、それでもなかなか成果が出ないことも多いです。
なぜなら、自分の軸を中心とした土台がないままに成果をあげようとしても、ただコントロールされてしまい、言われたことをやるだけになってしまうからです。
だから僕は「自分軸」ということを大切にお伝えしています。
普段の僕の発信や講座、そしてこの文章を読んだ上で、ひとつでも共感する部分があり、一緒に進んでいくという選択をしてもらえるのであればそれは本当にとても嬉しいことです。
でもそれよりも大切なことで、僕が願っていること
それは、何を選ぶにせよあなたが持っている可能性を最大限に活かして、必要としている人たちに届けるための選択と行動をして欲しい、ということです。
正しい方向に力を注げば、仕事は家族を犠牲にしなくても成り立つし、伸ばしていける。
自分の専門性を活かしながら、大切な人との時間を守りながら、売上も伸ばしていく——そういう生き方は、絵空事ではありません。
それを証明するのが、私の仕事だと思っています。

もう一歩先へ進みたい方へ
ここまで読んでくださってありがとうございます。
日々の気づきや、売上・集客・時間の使い方について「自分軸で考えるヒント」、そしてひとりビジネスで結果を出すために本当に大切にしていること——それをメールでお届けしています。
記事やポッドキャストだけでは語りきれない本音、読者限定の考え方も共有しています。
「この人の考え方をもっと知りたい」
「ひとりビジネスを、もう少し自分らしく回したい」
そう思われた方は、ぜひ下のボタンからメルマガにご登録ください。
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